ナウマンゾウのいる町づくり


              
近藤洋一



 ナウマンゾウは日本を代表する化石です。そのナウマンゾウの発掘を40年も続けている野尻湖は、ナウマンゾウのいる湖として名を知られています。野尻湖発掘に1回でも参加したことがある人は、40年間で10000人以上に及びます。教科書でも取り上げられ、ナウマンゾウの牙(切歯)とオオツノジカの角(掌状角)が寄り添うように並んで発見された「月と星」と呼ばれる化石の写真は、今でも教材や本などで借用依頼がきます。野尻湖を一躍有名にしている写真です。

ところが、野尻を歩いてみても、野尻湖ナウマンゾウ博物館以外でナウマンゾウに出会うことはめったにありません。水戸口公園に親子のナウマンゾウがある程度で、「ここがナウマンゾウで有名な野尻湖か」という観光客の方も多いのです。そこで、博物館の20周年記念講演会では、「日本のナウマンゾウ その歴史と町づくり」というテーマで、ナウマンゾウの歴史と化石を町づくりに役立てている事例をお話ししました。ここでは、そこで話した内容をもとに、今行っている取り組みなども踏まえて紹介したいと思います。



水戸口公園のナウマンゾウ

● ナウマンゾウの歴史

 日本のおよそ200ヵ所の場所からナウマンゾウは見つかっており、いろいろな博物館でナウマンゾウの骨格標本を目にしているかと思いますが、多くは北海道の忠類村、東京の浜町、神奈川の藤沢、千葉の印旛沼で見つかっているナウマンゾウの骨格をもとに復元したものです。しかし、ナウマンゾウの化石研究に重要な頭の化石(頭蓋)が意外と発見されていません。

完全なものは千葉の猿山というところで見つかった標本です。

 ナウマンゾウは、中国大陸から陸続きだった時代に渡ってきたゾウで、およそ40万年前のことです。中国からは多くの“ナウマンゾウ”と呼ばれている化石は見つかっているのですが、時代などはよくわかっていません。今、研究者たちが中国に行って、研究を続けています。日本に渡ってきたナウマンゾウはどのようなゾウなのか、たいへん興味がある問題です。

 日本列島から見つかっているナウマンゾウの報告があるものすべてを調べてみました。219ヵ所のうち、きちんとどの地層から見つかったものかが推定できるものは、約半分の98標本ありました。それを時代別に並べ替えてみると、たいへんおもしろいことがわかってきました。一番古いナウマンゾウは大阪で見つかっているもので、37万年ほど前のものです。

 では、ナウマンゾウは中国から渡ってきてどのように日本列島で繁栄し、絶滅していったのでしょうか。渡ってきた時代を出現期、分布を拡大していった時代を発展期、もっとも栄えた時代を最盛期、姿を消していった時代を衰滅期と4つの時代に分けて歴史を考えることができます。

 もっとも繁栄した最盛期は今からおよそ12万年前から7万年前のことで、日本列島が暖かい時代でした。北海道まで分布を伸ばしていたことがわかっています。寒い時代を迎えてもその分布範囲は縮小することなく、野尻湖の時代を迎えて突然、絶滅します。野尻湖発掘調査団では、人類がナウマンゾウを滅ぼしたのではないか、という仮説を打ち出し、研究しています。

忠類村のナウマンゾウ街灯 


● ナウマンゾウのいる町づくり

 化石をテーマにして町づくりをしているところはいくつかありますが、今もっとも注目されているのが、北海道の穂別町です。ここでは、クビナガリュウやクジラ、ウミガメといった穂別でしか見られない化石を、町づくりに活用しています。

 まず町に入るといたるところに、クビナガリュウのモニュメントがあり、公園には強大なアンモナイトや魚類が復元されていて、タイムスリップしたような感覚を持ちます。標識や公式な看板などには必ずセンスのいいデザインのクビナガリュウが観光客を迎えてくれて、博物館に行かなくても、ここはこんな化石が見つかった町なんだ、ということがわかります。

 これは、単に化石のオブジェを街角に作る、といったことではなく、地域に総合的なコンセプトがあることが重要です。こうした取り組みは住民と博物館が一体となって、進めてきた成果であるということでした。

 また、野尻湖と同じナウマンゾウの発掘が行われた北海道忠類村では、ナウマン公園があって、街灯に風見ふうのナウマンゾウが人目を引きます。

 こうした取り組みは山口県美祢市でも行っており、博物館通りと名付けられた博物館の前の道には、そこで見つかったナウマンゾウやオオツノジカ、サイなどの復元像が並んでいます。

 今、野尻でも表参道の会が中心となって、博物館と協力し、ストリートミュージアムを作ろうと計画しています。野尻湖に来たらナウマンゾウが迎えてくれる、そんな町づくりができたら、と考えています。一緒に手作りのミュージアムを作りませんか。

 資料の提供をいただいた穂別町立博物館の桜井和彦さんと忠類ナウマン象記念館の鎌田浩さんにお礼を申し上げます。


穂別町のクビナガリュウ
(穂別町立博物館 桜井和彦氏撮影)

PreviousIndexNext