山あい村の3つの話

              
 池宮 理久



 長野県の北のはずれ野尻湖の近く、本道村でのことあれこれ。


1 春のある日 

 何気なく窓の外に目を向けると、山桜の木の枝に灰茶色の鳥が止まっているのが見えた。足でしっかりと枝をつかみ、ゆっくりと体の向きを変えた。そして何かを確かめるような仕草をしてからすうっと首を伸ばし、桜の実を食べた。もしかしたら虫を食べたのだったかもしれない。目の上に白い線のあるちょっと大きめのムクドリみたいな鳥。

 もっと良く見ようと窓を開けた。その音に驚いたのか、飛んでしまった。しばらくして、まだ何も植えていない畑の土の上を歩き回っている鳥を見つけた。虫を捜しているのだろう。後姿は茶色っぽい。お腹が白い。目の周りに白い線がある。「ああ、さっきの鳥だ」と判った。少し歩いては止まり、土の山の間に顔を向ける。そして起き上がりそのままじっと遠くを見ている。20秒位動かない。また少し歩く、そして立ち止まり遠くを見ている。どうも物思いにふけってしまう癖のある鳥らしい。

 名前を野鳥の本で調べてみた。ヒタチ科・ツグミ亜科・マミチャジナイ。なんとも不思議な名前を持っていた。

「日本には旅鳥として渡りの途中に立ち寄る。秋の渡りの時期のほうが観察する機会が多い。ミズキなどの木の実を食べたり、地上で小動物を捕らえたりしている」

 小動物?とは驚いた。まさか鼠を食べそうな形の鳥ではない。虫のことを指しているのだろう。そして木の実を食べていた。これに違いない。今は春の4月で本とは逆の季節だけれど、旅の途中なのだ。いったいどこの国のどの地方からやって来て、どこの国へ飛んで行くのだろう。そんな事が頭に浮かんだ。どのくらいの大きなグループで、どのくらいの距離を移動しているのだろう。何にしてもその途中で、ここ本道村を休憩地に選んだわけだ。北から南までアジアの土地を広く知っている彼等がどんな風にこの地を高い空から眺めたのだろう。興味は尽きない。

 「やあ、ようこそ、我が本道へ。長旅で疲れているだろ。ゆっくり身体を休ませてから出かけてくれ」

 「また、秋に会おう。山ぶどうの季節に。いつか君たちの旅の話を聞かせてくれないだろうか。水平線に上がる太陽を海の上でどんな気持ちで君たちは見るのだろう。じゃあ。気をつけて」



2 夏のある日の昔話

 今の本道の村は多分500年前ぐらいにできたのだろうと思われる。そんなことを村の人と話したことがある。

 それより前約300年前、今から800年ほど前に、本道村の新潟側にある長範山に山賊が住んでいた。だからこれは本道村がまだ山と森と沼だった頃の話。もちろんここは北国街道とは言え信州と越後との境、山奥の難所だったのだ。何が居たって不思議じゃない。盗賊の名前を熊坂長範と言った。

 長範は本道の隣村で新潟側にある信州の一番端っこの村、熊坂村に生まれた。子供のころは力が強く優しい働き者だった。彼は成長すると村を出た。どうして村を出たのかわからない。また村を出て何をしていたのかもはっきりはしない。ただ一説には源義朝(源頼朝の父親)の家来であったと言われている。その義朝が平家に敗れ家来は散りじりになった。長範は故郷に戻り源氏再興を祈り、山賊となって軍資金を貯めていた。豪族を襲い、長者を襲い、しかし彼は奪った金を貧乏な人々に分け与えてもいたので人々に慕われた。そしてたくさんの子分を持つようになった。(まるで彼は日本のロビン・フッドだと言ったほうが彼の在り様はわかりやすいかもしれない)

 彼はある時、金売吉次が京都から奥州に旅に出ることを聞きつけ、それを襲うことにした。彼は子分を従えて木曽を越え、美濃で吉次一行を襲った。しかしその一行の中に源義経がいた。長範は義経に斬られ、そこであえ無く一巻の終わりとなる。源氏再興の夢はなんと源氏によって切り捨てられてしまった。

 ところで、いったいその源氏再興のための軍資金はどうなったのだろう。長範は留守中誰かに盗られないように金目の物をどこかに隠していたはずだ。実はまだその金は見つかっていない。野尻湖畔から本道村を通って熊坂村へ抜ける間道はその頃からあった。軍資金は本道村のどこかに眠っていると言う事もあるかも知れない。                    もし、真夜中にたくさんの人が大声を上げて走り回っているような物音を聞いたら それは多分、夢を捨てきれない長範の霊とその子分どもの霊が、軍資金が無事かどうか確かめにきているのかもしれない。

 源氏ぼたると平家ぼたるの淡い光の飛ぶ様を本道の田の上に見ていたら、そんな事をふと思った。



3 秋のある日

 稲刈りがそろそろ始まると言う頃、久しぶりに本道を歩いてみた。村の中には赤線と言って、いわゆる誰でもが使える農道がある。また青線と言っているのが水路である。ともかく小本道の中の赤線(農道、小道)を歩きに出かけた。熊よけの鈴を腰につけようかとも思ったが今日はやめた。僕にとっても熊にとっても鉢合わせする前にお互いのことを知っておくことは大事だけれど、今日は天気もいい。爺さん熊は今日は魚釣りにでも行っているだろう。それにリスや小鳥が鈴の音で逃げてしまうのもつまらない。

 村の中の道を歩く。大きなたぶん樹齢にすれば100年は越えているだろう夏ぐみの木がある。次の農家の庭に豆柿の木があった。ななかまど、なし、桜、ブルーベリー、すぐり、赤フサスグリ、山ぼうし、農家の周りには実をつける木が多い。舗装路を横切って南東に向かうと右の崖の上に樹齢150年以上の山桜の木がある。この老木の春の花は見事だ。ここには昔神社があったのだそうだ。

 先へ進もうとすると、かつてあった農道が今は藪になっている。藪こぎだ。道がわからない。昔の草刈場(堆肥を作るために草を刈った所)はもう誰も草を刈っていない。木が生えていた。昔は田んぼだった葦畑を奥に行く。山陰には今も変わらず湧き水が出ていた。雑木林に入る。きのこ栽培の跡。そして今は使われていない石を積んだ炭焼きの釜があった。ぐるりと回って現在も田を作っている辺りへ。ここらは夏には蛍たちでにぎわう所。水路沿いに歩いて中山に行き着く。その手前が鴨や青さぎの食事場所だ。最近この辺りにきつねの一家が越してきた。先日わざわざ挨拶に来てくれた。たくさんの土をとった跡がある。前に佐藤さんの田の水を暖める溜め池を掘った時に下から出てきたのは、いつ入れたのか知れない大木だった。土の中で木が腐らなっかたのだ。ずっと昔、本道は沼だった。その沼に大木を敷き、その上に山からの土を入れて田を作ったのだそうだ。

 中山を回りこむと石梨(山梨)の木がある。そして大ぜきの水の流れを聞きながら少し北に行くと、モリアオガエルの産卵地がある。これは最近知り合った面白い奴で、水溜りの上に張り出した木の枝にビニール袋を吊るした様な卵を産み付ける。かえったおたまじゃくしは下の水の中に落ちる。そんなおかしな仕掛けをする変わり者。村の周りの山の木々は昔から蒔用だったり建築用だったので古い大きな木はない。杉、唐松などの植林された木の他、ニセアカシア、もみじ、楢などいろいろの落葉広葉樹が育っている。たぬきの家もそんな中にある。彼らは大家族主義なので大きな家を作る。夜中によく子供たちを叱る母だぬきだかおばさんだぬきだかの声が聞こえてくる。子供のしつけには気を使っているようだ。

 さてそろそろ寒くなってきた。家に帰って、お茶の時間にするとしよう。   

                   

         長野県の北の山奥 在住

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