野尻湖の今昔

上島長之

 およそ60年ほど前に「湖畔の宿」という流行歌がありました。歌詞は次のようなものだったと思います。

「山の寂しい湖に 独り来たのも悲しい心 胸の痛みに堪えかねて
 昨日の夢と焚き捨てる 古い手紙の薄けむり」

「ランプひきよせ故里へ 書いてまた消す湖畔の便り 旅の心のつれづれに
 独り占うトランプの 青いクイィンの寂しさよ」

 60年前には胸の痛みに堪えかねて湖畔に来る人もあれば、古い手紙もあったでしょうが、最近は胸が痛ければ相手にブッツけるか、裁判にかけて慰謝料を取るでしょうし、古い手紙などはお婆さんの遺品でもないかぎり何処にもないでしょう。

 またせっかく湖畔に来ても、前のように頭を掻き掻きいろいろ名文をひねり出して、何とか故里の人たちの心を打つような便りをしようというような気持ちなどはひとかけらもなく、メールで電報のような味もそっけもない便りをするのではないでしょうか。それだから山の寂しい湖も、泣きながら今訪れる人たちに合わしているように思います。

 野尻湖も昭和40年代までは、かなり昔の佇まいを残していたように思います。朝早く砂間館から岸伝いにYWCAのほうに歩いていくと、グリーンタウンの水泳場があり、さらに行けるところまで行きまして釣り糸を垂らしますと、物音ひとつせず浮きが水面に当たる音がポツンと聞こえるほど静かで、5〜6センチの雑魚が面白いように釣れたものでした。もちろん夏のことですのでワカサギは釣れませんが。

 また暗くなりますと、懐中電灯で岸辺の底を照らしますとピカピカ光るものがあり、それを簡単に網で掬うことができます。俗称、目が光るのでメヒカリエビと言いまして、フライパンで炒り薄く醤油味をつけますと、酒の肴としてビールがいくらでも飲めるというものでした。炒るときは必ず蓋をしないと、エビは生きておりますので跳ねて全部フライパンから飛び出してしまいます。ご用心。

 今では岸辺の石に、何かもやもやした物が付いているので、エビも何となく汚れているように感じ、掬う気にもなりません。野尻湖の周りの動植物は実に多種多様で、話をすれば限りがありませんが、だんだん数も種類も少なくなり寂しいことです。

 その後急速に都会化と言いますか文明化してたいへん便利になり、訪れやすくなるとともに、自然の味が薄くなり、日本一の水質も悪くなるとともに生態系も崩れてきたようです。大勢の人たちが懸命に自然を取り戻そうと努力をなさっておりますが、壊すほうも止まらず安心はできません。しかし野尻湖には壊すほうを止めるたいへんに良い例があります。

 それは外国の人たちで、軽井沢の俗化を嫌って野尻湖畔に別荘を持った人たちです。何百件もの別荘で大勢の人たちが何十年も夏を楽しみましたが、野尻湖の自然をどれだけ壊したでしょうか? それは自然を自分たちのほうへ引っ張り込むのではなく、自分たちが自然のほうへ溶け込んでいったからでしょう。言い換えれば、自然の中での生活に都会の文明を出来るだけ持ち込まないように努力したことと、公共のものとみんなで大切にしているものを大事にしたからでしょう。確かに文明はいろいろのものを与えることにより、我々を豊かにはしてくれましたが、知らぬうちに失ったものも多いようです。特に人間の人間たる所以の、心の大切な部分をかなり失ったのではないでしょうか。

 都会生活も文明のおかげでずいぶん楽になり、時間的にも物質面でも余裕が出来ましたが、昔のような隣近所との暖かい触れ合いはなく、家の前の道を掃き、水を撒いて気持ちの良い環境を保とうというような配慮も薄くなり、その気持ちのままで、他人はどうでも自分だけの安らぎを求めて自然の中へズカズカと入ってこられては、自然の環境も保てません。お互いが他人に対する配慮なしでは、自然は荒れ放題になるのもやむを得ないことでしょう。

 野尻湖畔に腰を下ろしてぼんやり湖を見ておりますと、浮いている舟の種類にしても数にしても、たかだか30年で野尻湖の湖面がこのように変わるものかと今昔の感に堪えません。

 話は尽きませんが、拙文をご愛読ありがとうございました。

 

*プロフィール*
1928年伊丹市生まれ、現在も伊丹市在住。1968年より毎年春夏秋に野尻湖を訪れる。趣味は山歩きとヨット。得意技は「ちょっと一杯」。

 

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