池端の子

大島ヒデ子

 昭和30年、立ヶ鼻の風景はほとんどが田んぼで、わずかな建物が湖に寄り添うように点在していました。

 池端の子供の私には、立ヶ鼻界隈は好奇心と想像力を十二分に満足させてくれる夢の世界でした。

 5月の末、湖の水位が上がり田植えの準備が始まると、細い用水路の中は、温んだ田んぼめがけ湖から上がってくる鮒の群れでいちだんと賑やかになります。その鮒の背びれを見つけた日は私の世界は宇宙まで飛んで、大好物のおやつや大好きな友達との約束さえも後回しになり、バケツを持って勝手に決めた自分の田んぼにすっ飛んで行ったものでした。

 ここでの鮒の捕り方はガキ大将から教わった「手づかみ」です。ただひたすら泥の中に手を入れて触るものすべてを掴んでみるという原始的でスリルに満ちた方法でした。これは、鮒ばかりでなく、冬眠から起こされたまだ眠そうな蛙、また緑の縦縞がこの世の生物とは思えない、キズに吸い付き大きくなるヒル、腹のところが赤と黒のまだら模様の何とも気味悪いイモリなどに当たることもありましたが。

 鮒だか自分の足だか気味悪い生物だかわからないけれど、泥の中に手を入れて捕るこの鮒捕り法が自分にいちばん合っていました。そしてなにより、この捕り方がザルとかタモより断然捕獲量が多いのでした。

 毎日、バケツに20〜30匹の鮒を持ち帰る私に加え、その頃母が大層可愛がっていたブチ猫のミーが日頃のお礼にと思ったのか、夜毎母の枕元に、3〜4匹のそれは立派な鮒を届けていました。母は毎朝大きな鮒ばかり届けるこの賢いミーには称賛の言葉をかけていましたが、手当たり次第捕ってくる末娘のあまりにも知恵のなさにはあきれていたことでしょう。「もういい加減にしなさい!」と思っていたのでしょうが、バケツはいつも空っぽになっていました。そんな母の恩も気にも留めず、「これでどうだ、ヒルも吸い付けないぞ」とキズというキズに絆創膏を貼り付け、カラのバケツを持って、「今日こそ」と自分の田んぼに向かったものです。何が今日こそなのかわかりませんが、とにかく気合だけは毎日入っていました。

 一度も食卓に上がったことがないこの鮒捕りも、田んぼに苗が植えられるまでです。早苗の間をどんな立派な背ビレが泳いで行っても、子供心にもう入ってはいけない、と終わりにしたものです。けれどもミーは相変わらず畔で、立派で美しい背ビレを待っていました。母はもうしばらく鮒臭い朝を迎えなければ終わりの日が来なかったのです。

 7月も中旬を過ぎると、鮒のことなどすっかり忘れ、水遊びで一日があっという間に暮れていきました。

 水戸口公園が子供たちに水遊び場として開放されていて、午前と午後に時間を決め、大人の人が監視してくれたように思います。そんな環境の中、物の少ない時代の私たちは色んな工夫をして水遊びを楽しみました。一番人気は、「ジャガイモ拾い」ゲームです。畑からピンポン玉くらいの新ジャガイモを掘ってきてきれいに洗い、白く見やすくしてから水に投げ入れ、一斉に取り合うという遊びで、誰がいちばん長く潜って拾ってこれるかでおおいに盛り上がったものです。けれど、夏も終わり頃になると湖底はジャガイモだらけで、こうなっては誰でも拾えてしまい、自然に遊びは空想の世界に移っていきました。

 立つことができないところを潜ると、私にとってそこは夢の世界でした。水草が生い茂り、その中を緋鯉や小魚、エビなどが泳いでいました。こんな楽しい水の中、いつまでも見ていたい…だけど息が続かない。「だったら、ガラスで囲っちゃえば…」などワイワイガヤガヤ。

 「みんなは知らないと思うけど、あの東北電力の建物の地下には秘密の入口があって、『サンダーバード』みたいに色んな国のスパイが出入りしているの。だから野尻は外国人が多いの。この話知らなかったでしょう」などと作り話の材料には事欠きませんでした。

 毎日新しい発見があり、自然の変化に感動し、暗くなるまで遊ばせてくれる場所は他にはありませんでした。

 昨年、タニウツギが見事に咲いている林で、家で楽しもうと悪気もなく一枝折りました。その時ひとりの方に注意を受け、「小さな頃から飾っていたので」と理由にもならない言い訳をするという、何とも恥ずかしい思いをしました。あらためて自分の周りを見渡してみて、あの鮒はいつから小川を上がることができなくなったのか、水草がなくなった後茂らないのはなぜなのか、小さな時から見ているこの風景が、その自然があまりにも身近すぎたために、日々の変化を気にもとめずにいた自分に向けられたお叱りだったと今は受け止めています。

 今、水遊びではしゃぐ子供たちの声を聞きながら、子供の頃受け止めた感動をあの子供たちにどのくらい渡すことができたのだろうか、当たり前と思っていたことがどれほどすごいことなのかを考えてしまいます。

 昨年のタニウツギの林は、今はすべて伐採されてしまって、あの方の気持ちが無になってしまったような気がしています。何があったのでしょう。残念なことです。

 今私の耳に、水の中から、野山から、小さな声が、
「早く気付きなさい。そして考えなさい」 と、やっと届いてきました。

 

*プロフィール*
1948年8月14日野尻生まれ。野尻在住。

 

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