2005年12月冬 ● 編集発行 ● 野尻湖フォーラム
 
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野尻湖と人との付き合い

木村敏男


 おおよそ40年になる、私が野尻湖と付き合い始めてから。大学村の山荘に逗留して、それが出来るようになった。

 まずは風景の鑑賞である。ここには湖を中心にして、豊かな自然の、多様な風景がある。

 周遊道路を車でゆっくり廻り、ところどころで停まって、木々に覆われた岬に囲まれ、きれいな水をたたえる湖を眺めた。竜宮崎からは湖面の向こうに黒姫山がよく見えたし、道路わきのある地点に立つと妙高山も望めた。高山を背景にもつ湖を展望したわけである。それゆえ、私と妻は何度も廻り、村内の老先生夫妻をはじめ親しい人々や訪問客も連れて行って、大いに喜ばれた。ところが、その後いつしか、木々がいっそう茂って、周遊道路からは湖面さえ見え難くなってしまった。

 遊覧船に乗り、湖面上からもあれこれの風景を見た。が、これは寸時に変わってあっけない。それでも手っ取り早いので、ゼミ旅行で来宿した学生たちは勧めてそれに乗せ、私も何度か同船した。周遊道路からの眺望が出来なくなると、一般にはこの船によるほかに風景鑑賞の方法がない。山荘に逗留の私は、ある岬の先端の岩に腰掛け、釣り糸を垂れながら、黒姫山に沈んでゆく夕日を眺めていて、真っ暗な周遊道路をおずおずと帰ってきたことがある。

 後に、町の職員にもらった名刺に、黒姫と妙高の両山を背景にした野尻湖の全貌を見事にとらえた写真が刷られていた。聞くと、その写真の立脚点は斑尾山の山腹の林道の一地点だが、林道は公開されていないとのことであった。それゆえ私たちは密かに、隣人も乗せた車でその地点を訪れたわけだが、残念ながら両山は曇っていて見えない、それでも湖と岬の全貌が展望できたので、少しは満足して戻ってきた。そしてある日に、歩いてそこに登れないか妻とともに試みたが、細い坂道が消えた後は綱のように茂り合った潅木に阻まれて、まったく進めなくなった。

 さて、野尻湖と私の付き合い方のもうひとつは魚釣りである。誰かに聞いて菅川へ行くと、岸辺にはずらり並んで多くの釣り人が糸を垂れており、なかに大学村の人の顔もあった。私は畦道をかなりに歩いて誰もいないところに座ったが、そこでもよく釣れた。以後はそこを私の定席とし、村の親しい釣り仲間二人もしばしばそこへ連れて行った。よく釣れるのはヒガイ(鰉)という小魚だが、たまにはやや大きいウグイやフナも上がって来た。ヒガイの漢字を魚偏に皇と書くのは、ある天皇がこの魚の料理を食って美味いと言ったからとか聞いたが、しかし、実際には骨が硬くてあまり美味くない。それでも私は自分で釣ったものだけは持ち帰り、妻に料理してもらった。

 ところがある日、その小魚がまったく釣れない。気が付くと、以前には岸の石積に群がっていた小エビの姿も見当たらない。粘りにねばった後、あきらめて帰ろうかと話しているとき、仲間の一人が竿に強い魚信があり、引き上げると大きな魚がかかってきた。ブラックバスである。その後は仲間と連れ立って小魚を釣りに行くのは止めた。そして私一人で行き、ルアーを使わないで、自分で考案した仕掛けで、ミミズを餌にしてブラックバスを釣って見たら、3尾が釣れた。当時は釣ったブラックバスを漁業組合に持って行くと、いくらかの報奨金がもらえ、組合長からはそのことを大学村の人たちにも宣伝してくれと言われ、そうしていたのだが、この3尾は持ち帰った。近所の婦人に進呈すると、実に美味い料理が返ってきた。

 いつのころからか、ワカザギ釣りもやった。これは冬場に専用船に乗り、船内で胡坐をかいて、特殊な装備(竿やリール)や仕掛けでやる。ところが私は冬が苦手だし、真冬には大学村は雪に埋もれて入れないし、現役のときには仕事の都合もあって、おおむね3月下旬しか機会がなかった。それでも毎年1回以上を10年近くは続けた。これには時々妻も付き合ってくれ、各自2本の糸を垂れたが、休む暇がないほどに魚信があり、あっという間に終了時間になって、二人合わせた釣果が200尾を超えたときもあった。夜は釣ってきたワカザギを、教えられた通りに石油ストーブの上で焼き、舌鼓をうった。

野尻湖 ところがである、これも。ある年にさっぱり釣れなくなった。暇を持て余し、船内で寝転んでいて、二人合わせた釣果が20尾余に過ぎなかった。私はその翌年にも行ったが、妻は付き合わなかった。そして、翌々年には私もあきらめた。村の知人は私から話を聞いてワカサギ釣りを始め、私たちと同船したこともあったが、その後やみ付きになり、毎年秋と冬に何回か東京からやって来て、3〜4日連日船に乗り込むという熱心さで、釣果が激減してからも続け通して、最近年には少し持ち直してきたと言う。しかし、この激減もブラックバス繁殖の影響で、「構造的な不況」ではないかと私は思っている。

 野尻湖と人との付き合い方で、私がやっていないことに、一言しておく。あるアンケート調査に、カヌーを楽しんだ青年が答えて、この豊かな自然の中でそれができて嬉しい、と書いていた。ヨットにしても、その他湖上のスポーツはすべてそうであろうと思う。

 先年、私は野尻湖検討委員会のメンバーになって、野尻湖の過去と現状を調べ、スイスとドイツの小湖沼を視察もして、これからの野尻湖のあり方を考える、そんな立場に立った。要するに、広く野尻湖と人間との付き合いについて、客観的に考えることになったのである。ここには、その両国の湖の視察で、野尻湖と関わって強く印象に残った2つのことを、思い出すままに書いてみる。

 ひとつはスイスの湖で、野尻湖よりは一回り大きい湖でのことである。ここでは先の大戦中に食糧増産のためにと、湖畔の一部が芦原から牧場(日本なら水田)に変えられてしまったのを、元の芦原にかえす事業が進められていた。戦後何年経ったか、遅いのではないかとふと思ったが、遅れながらもなお忘れずにやるのはえらいと思い直した。現場は牧草を剥ぎ取った状態であったが、その状態を見るに見かねたのであろう、地元の人が耕して草花の種を撒き始めていたので、案内人(管理官)が説得して止めさせる一幕も見られた。もっとも、それだけならばここに特筆するを要しないのだが、後がある。そのようにして復活するであろう芦原を人々が展望できるようにと、早々に展望台が設けられていたのである。木造で、階段を十数段上がる程の高さで、そこに数人が立てるだけの小規模な展望台であったが、「自然への窓」という表示が付けられていた。これだと思った。一方で自然を守り、復活するとともに、他方でその自然に人間が親しく接しられる「窓」を設ける。野尻湖のあり方も基本的にそうあるべきだろうと思ったのである。

 もうひとつはドイツの湖で、野尻湖より一回り小さい湖でのことである。ここでは湖畔と湖面の7割が生物のために確保されていて、人間の侵入は禁じられていた。だから、周遊の遊歩道も湖畔を通るのはその3割分の中だけで、あとははるかに後方を迂回していた。しかも、その迂回路をもっと遠くに離す計画が進められているとのことであった。その遊歩道を人が続々と歩いていて、イギリスからさえも歩きに来るという。一方、野尻湖は急峻な岬が多いことが幸いして、周遊道路内でも豊かな自然が残っている。野尻湖の遊歩道はもっと整備され、延長されねばならないと思うが、一回り小さいこの湖の、平坦な湖畔のようにはいかず、一工夫が必要であろう。それらよりも私が気になったのは、その遊歩道への入り口、湖の玄関口に当たる区域の有り様である。そこは芝生を敷き、草花や潅木を植えた広い庭園になっている。そして岸辺には一群の葦や柳の高木が散在していて、合間からゆっくり湖が見渡せる。ところどころにベンチも置いてある。人々はそこで安らいだ気分になって、歩き始めるのであろう。近辺に駐車場は見付からず、しかも自動車道での路上駐車は厳しく取り締まられていると聞く。それなのにこんなにたくさんの観光客が集まってくるのである。後日、視察報告会が信濃町の総合会館で開催されたとき、別室に展示された写真の中にこの湖の玄関口の写真もあって、それを見ていた地元の人が説明を聞いて、「これでなければ」と言った。あとは言わずもがな「野尻湖も」である。

遊歩道 3年間にわたる検討の結果、『野尻湖の将来の在り方』の答申書を町長に提出した。すばらしい答申書だと、今でも思っている。基本はやはり「自然を保護し、復活するとともに、その自然と人間が親しめる施策を講じる」というものであった。言い換えれば、「野尻湖は人がその自然と親しむところであり、あらねばならない」ということになる。ここでは、その具体案として、私が今なお持ち続けているのもを2つ述べる。

 ひとつの案は、風景鑑賞の地点を整備し、それらを巡る手段を講じることである。この鑑賞地点として私が特に挙げたいのは、砂間ヶ崎、竜宮崎と斑尾林道一地点である。砂間ヶ崎では妙高山を背景にする湖が、竜宮崎では黒姫山を背景にする湖が展望でき、林道の一地点では両山と湖の全貌が俯瞰できる。そのためには次のような設備をし、手段を講じなければならない。もちろん過度に自然を壊さないように配慮しながらである。

(1)両岬の高所の適当な場所に展望台を設ける。また、水際に石積をして、そこからも展望出来るようにし、小船が着岸出来るようにもする。さらに、両地点を結ぶ遊歩道を整備する。

(2)林道の一地点へは菅川からの登山道を開設するとともに、観光シーズンには菅川を基点にして林道に小型バスか馬車を運行させる。

(3)また、野尻の埠頭を基点にして砂間ヶ崎−竜宮崎−菅川−松ヶ崎または樅ヶ崎を巡航する小船の定期便を就航させる。

 以上のようにすれば、多様な観光コースができる。特に勧めたいコースは、野尻で巡航船に乗って砂間ヶ崎へ行き、降りてその場の石積上で展望し、丘に上って展望台からも展望し、そこから竜宮崎まで遊歩道(象の道など)を歩き、そこの展望台から展望し、下りて石積上からも展望し、巡航船に乗って、あと何処に立ち寄るか、寄らないでか、野尻に帰ってくるコースである。また、菅川で下船し、歩いて登ってか、乗り物に乗ってか、林道の展望点に行くコースも勧めたい。私など歩けないものは、巡航船で両岬の石積上から展望するだけでもよい。写真愛好家ならば、一所に朝から夕方まで留まってチャンスを待つかもしれない。かくして観光客はせめて2泊ないし3泊しないと野尻湖を見たと言えない、ということになる。

 幸いなことに砂間ヶ崎と竜宮崎には町有地があり活用できる。砂間ヶ崎では町有林の森林整備が行われている聞いて、今後に大いに期待している。これが上記のプランの実現のはしりになれば幸甚である。

 さて、もうひとつの案は野尻区の湖畔についてのもので、住民の生活と係わるから言いにくいのであるが、あえて言わせてもらう。

 昔、ここの岬の湖畔には葦が生い茂り、先端には数本の赤松が立っていた、そんな絵を何かの本でで見たことがある。北国街道を歩き、野尻宿で泊まって、霧下蕎麦に舌鼓を打った旅人の幾人かはそんな風景を眺めたに違いない。今では夢のような風景であって、その後の長い年月の流れの中で、折々の必要に応じて変えられてきたであろう。それにしても、現状はまったくこの湖に相応しくなくなっている。

 まずは、周遊道路と渚との間の地域の有り様である。ここは野尻湖の表玄関の前庭に当たるのに、あまりにも殺風景である。もっとも、その一隅に県立公園があり、最近遊歩道が設けられて庭園らしくなった。問題はその南端からバスターミナルの南端までの間で、ここが広くを駐車場に占められている。この駐車場を周遊道路の外に移し、跡に樹木(ノジリボダイジュを含む)や草花を植え、芝生を敷いて、すっきりした庭園にしてほしい。もちろん、域内に既存の店や宿舎が日常的に使用する車道は細く残さねばならないだろうが、しかし、客の車やバス(定期バスも)は域外に駐車し、客にはそこから歩いてもらう。だから、歩いても気持ちが良く、楽しいような庭園にする。地元の婦人連が今も周遊道路わきに花を植えて美化を図っているが、そのエネルギーをこの庭園に注いでもらうと、もっとやり甲斐があろう。

 次には、渚から湖面に突き出た桟橋である。これが乱雑に密集していて、それ自体が風景を損なっているし、人が親しめる渚を無くしている。そこで、桟橋を統合し、共用するようにして、数を減らし間隔を広げる。そして、その広げられた間隔の渚に、階段状に石積して、人が腰掛けて風景を眺めたり、水に触れたりすることができる湖岸を造る(琵琶湖に例がある)。眺める風景は、斑尾山を背景に、湖面に浮かぶ琵琶島を目前にする、馴染みの風景であるが、見晴らしがひときわ良くなるに違いない。

 ともあれ、より多くの人が、より親しく野尻湖と付き合えるようになることを願っての発言である。一読、一考いただければありがたい。

 

*プロフィール*
大阪在住 大学村

 

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