2005年12月冬 ● 編集発行 ● 野尻湖フォーラム
 
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北信濃の小さな宝石

湯澤弘子


 私の祖父、治郎が旅館を始めたのが昭和3年ですから、あと少しで創業80年になります。大正初期に当館のある立ヶ鼻の地に、島田さんという東京在住の方が野尻最初の別荘を建てたのだそうです。その後、その別荘の建物で牟礼の人が、藤屋という屋号で夏期だけ旅館を営業していました。

 治郎の妻ますは、お隣の小松屋さんの長女です。昔は宿泊者名簿である宿帳を毎日駐在所へ持参しなければならなかったのです。駐在さんだった祖父が祖母を見染めて、結婚を申し込みました。この土地の言葉で、よそ者を表す「旅のもん」だったわけですが、祖父があまりお酒を飲まない人、そして警察官という堅い職業ということで、結婚を認めてもらったようです。

 鬼無里村の駐在所の勤務の時、野尻の実家の母親から藤屋が売りに出たことを聞きました。ますはお給料と仕立物の内職で貯めたお金で旅館を買うことに決めました。転勤のともなう仕事、決められた給料しか入ってこない生活が嫌だったと言っていました。何より商売が好きだったのでしょう。祖父も警察官を退職し、今で言うところの脱サラということになりました。

 藤屋という名前を変更することも考えたようですが、祖父の実家は桜で有名な高遠藩の内藤の殿様の家臣でした。内藤を反対にした藤内という屋号ですので、藤屋のまま現在に至っています。昭和6年に買い取った建物を建て直しました。

 祖父はよその土地の出身ですので、自分自身で信用を築かなければなりませんでした。また、警察官だったせいか、正直な商売、そして信用ということを人一倍大切にしていました。

 農業は春に種を撒けば秋には収穫が見込めますが、旅館という商売は、種を撒いてもなかなか芽が出ないことも多いのです。1回お見えになられたお客様がまたご縁があるとは限りません。しかしいろいろな出会いがあります。学生時代のサークル合宿を野尻湖で行い、還暦を迎えた記念に当時のお仲間と訪ねてくださった人。種を撒いて収穫まで40年近く掛かったことになります。

 毎年5月中旬に、静岡から新茶が送られてきます。半分は湖に撒いて、残りは我家もご相伴に預かります。送り主のTさんは、昭和33年8月8日に義理の弟さんを野尻湖で亡くされています。

 前日、Tさんの妹さんである奥様と二人で妙高山を登山し、野尻湖で宿泊の予定でした。荷物を置き、一息ついた後、ボートで弁天島に向かったそうです。途中、ご主人が泳ぎたくなり湖に入り、奥様の漕ぐボートの近くを泳いでいました。急に沈み始め、ボートのオールを差し出したのですが、あと20〜30センチのところで届きませんでした。行方不明になった日がその年の灯篭流し花火大会だったそうです。父と母は、いまだに忘れられない灯篭流し花火大会だと言います。

 静岡県の御前崎から、潜水夫の人が来て湖に潜ったそうですが見つかりませんでした。奥様も半月ほど滞在して、毎日風下になる湖畔を捜し歩いたそうです。当時私は4歳でしたが、毎晩薄暗い部屋で若い女の人がうつむいて泣いている後姿を、障子の隙間から見たことを覚えています。

 奥様はその2〜3ヵ月後に、心身の衰弱でお亡くなりになりました。次の年から毎年奥様のお姉さんが、弟さんの供養にと、新茶を送ってくださるのです。

 50年近いお付き合いになりますが、野尻湖は私たち家族の「心のふるさと」とおっしゃいます。

 十年一昔と言われますが、野尻湖も10年前とはずいぶん様変わりしました。交通も便利になり、首都圏からも日帰りが可能となりました。日帰りのお客様、立ち寄りのお客様が多くなったせいか、3軒の旅館、ホテルが営業を止めました。以前、金融機関の方から伺ったのですが、旅館ホテルは投資金額が大きく、そのわりに資金回収率が悪い商売と。

 考えてみると、野尻湖の場合、季節的な営業ですので固定資産税も大変です。お客様が大勢予約してくださっても定員以上はお受けできません。一日一部屋には一組のお客様しかお泊りいただけません。お客様の滞在時間というか利用時間も長時間です。

 フロントでお客様をお迎えする時、満足していただけるか、そして何か粗相がないようにと、心配でドキドキします。100パーセント満足していただくという事はとても無理ですが、私たちのできる精一杯の接客を心掛けています。野尻湖を訪れてくださった感謝の気持ちと謙虚な姿勢で、ささやかですが末永く営業していきたいと思います。

 ペンションブーム、テニスブーム、バス釣りブームといろいろありました。しかしブームは所詮流行物そして廃れ物です。ブームに流されないで、野尻湖らしい自然そのままの姿を保ってほしいです。派手なイミテーションやメッキは、一時は人目を引きますが、時間が経つと色あせてしまいます。地味でも本物は残ります。

 奥信濃の小さな宝石。さしずめエメラルドというところでしょうか。いつまでも変わることなく、野尻湖らしく輝き続けてほしいです。

 

*プロフィール*
野尻湖畔 藤屋旅館女将

 

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