童話館だより(2)
「黒姫ものがたり」の歴史と舞台を訪ねて
それでも、最後まで走りきった小姓との約束を、政盛は反故にします。怒り狂った竜は、嵐をよび四十八池を切って城下を水に浸そうとします。心を痛めた黒姫が、父を説得して竜のもとへと旅だったのが黒姫山となっています。
松谷みよ子の美しい文章で、愛の民話となった『黒姫物語』が、昭和という新しい時代に誕生したのです。そこには、昔話や伝承の粗削りなタッチはありません。人の情けを伝えるみずみずしさと、愛のせつなさが人々を酔わせます。それは、自然の過酷さと対峙しつづけた農耕の歴史から、近代化を果たして商工業の時代へと入った日本人が求めるものだったのかもしれません。
その後も、『黒姫物語』は、多くの作家によって書かれていますが、愛の民話に変わったその立ち位置は変わっていません。
『黒姫ものがたり』こぼれ話
黒姫と竜の物語は、中野から信濃町まで多くの方に語り継がれて、その土地の自然や風俗と結びつき広がっています。そのいくつかを紹介します。
黒姫山に移り住んだ黒姫が、高梨の城を懐かしみ、毎年中野の祇園祭りには里帰りをすると伝えられています。そのときには、たとえ三つぶでも雨がおちるのだそうです。
竜と旅だった黒姫が、黒姫山を前にしてしばらく信濃町落影ですごしたという説があります。村の人々からもらった米や野菜を煮炊きした鍋を、竜の迎えで去るときに山の頂に伏せていったその山が鍋山だと言われています。
黒姫はくしや鏡など七つ道具を持っていました。そのうちの鏡は、黒姫によって投げあげられて道をひらくのですが、鏡はやがて小さな池になったと伝わっています。鏡池です。その近くには姫をしたって移り住んだという腰元のおたねの名をつけた種池があります。人の世を捨て竜のもとに去った黒姫には、身を飾る七つ道具は、もう必要なかったのでしょう。そのひとつひとつが、七つの池をつくりました。 〉〉〉